恋するコンピュータ 2009/9/22
〈黒川伊保子、筑摩文庫、2008年〉
この本がすでに10年前に出ていたことに気付かなかったのは、迂闊だった。(初版はちくまプリマーブックス、1998年)。何か自分の狭い思考方法に行き詰まって息苦しくなったとき、この本のことを思い出したかった。
著者は「ナレッジ・エンジニア」――知識を扱う技術者、と自らのことを定義する。その仕事とは、「ものごとの有り様と成り立ちを見つめ、それを知識として扱うための枠組みを設計すること」――と言われても、純文系の私にはイメージが湧きにくいのだが、もう少し分かりやすい言葉を拾うならば、「人間の思いや行いも含めた一連の系を明文化していく」ことだという。
そのプロフィールじたいが面白い。理学部物理学科卒業後、コンピュータメーカーで人工知能研究に従事。2003年に(株)感性リサーチを設立、翌年、脳機能論とAIとの集大成による語感分析法を発表、感性分析の第一人者となる、とある。
タイトルにもある「恋するコンピュータ」――著者がメーカー勤務時代に作ろうとしていた人工知能とは、いつも人間の側にいて、私たちのしぐさや視線や表情を優しく見つめ続けるもの。単純なオーダーを実行するだけでなく、状況に応じてどのような対処が望まれるのかを推論しつつ、なめらかに行動するコンピュータ。あたかも、ユーザーである人間に恋するように。
文庫版の出版にあたって増補された「恋するコンピュータ 十年後」にあるとおり、このようなコンピュータは例えば、携帯電話のゲームの中などではすでに現実のものに近付いている。人間の感性とはまるで別世界の、硬直したシステムのように思えるコンピュータも、当たり前のことかもしれないが、まずそれを作る人の思いありき、なのだった。
著者はその後、「脳とことば」の研究を進めた結果、独自の語感分析法を発表するのだが、この本にもそのエッセンスが織り込まれている。著者によれば、「語感」の正体とは、発音体感である。たとえば、「K」の音は、それを発するときの喉や口の強い緊張感から、硬さ、強さ、スピード感、ドライなどの質を持っているという。「語感」というものの正体が、「聴こえ」のイメージでなく「発音体感」であると気付いたこと、それを口腔内物理効果として客観指標に置き換えることによってシステム化したこと――それは、人生最大の発見となったという。この分析法は、子どもの名付けからビジネス界における商品の命名まで、幅広く応用できる。
この本のもうひとつの魅力は――それは、人工知能の開発に携わってきた著者が、自ら母親となって、生きた「知識獲得エンジン」である子どもの成長をみつめ、日々の発見を生き生きと記録していることだろう。こんな過程に立ち会えるのならば、産むことから、逃げたくはない、恐れたくはない、そう思わせられる。
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