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2008年10月

台湾――変容し躊躇するアイデンティティ  2008/10/19

〈若林正丈、ちくま新書、2001年〉

本書の初版が出たのは、2001年11月。前年の2000年3月に陳水扁が総統に当選したものの、政権は混迷し、2001年6月には李登輝が「台湾団結連盟」の名称で新政党を結成するなど、政治情勢の激変が続いていた。李登輝は2001年4月に念願の訪日を果たしているし、この頃小林よしのりの『台湾論』の中国語版が出版されるなど、日本人にとっても台湾への関心がピークに達していた時期と思える。本書には2001年12月1月の立法院議員選挙直前までの動きが盛り込まれている。

このような状況のなかで出版された本書は、現代史を中心としているものの、14世紀(元代)にさかのぼる濃密な台湾の歴史を掘り起こして現代アジア史に位置付けている。「結び」には、「戦後この日本の南の隣人について知的なイメージを描く試みがあまりに足りなかった」とある。新書サイズではあるが記述は密度が濃く、台湾の歴史についてのまとまった知識が得られる参考書となる。目次は次のとおり。

第一章 「海のアジア」と「陸のアジア」を往還する島――東アジアの「気圧の谷」と台湾/第二章 「海のアジア」への再編入――清末開港と日本の植民地統治/第三章 「中華民国」がやって来た――二・二八事件と中国内戦/第四章 「中華民国」の台湾定着――東西冷戦下の安定と発展/第五章 「変に処して驚かず」――「中華民国」の対外危機と台湾社会の自己主張/第六章 李登輝の登場と「憲政改革」/第七章 台湾ナショナリズムとエスノポリティクス/第八章 中華人民共和国と台湾――結びつく経済・離れる心?/第九章 「中華民国第二共和制」の出発

自分の関心からいうと、特に「台湾ナショナリズム」、そして本書のサブタイトルにもある、台湾の人たちのアイデンティティについての記述が有益だった。第七章では、「台湾ナショナリズム」とは、「一つの中国」原則に対して、台湾には独自の主権国家が樹立されるべきであるとの政治的言説と運動であるとする。「台湾文化」の独自性を主張する、ないしは形成しようとする文化ナショナリズムもこれに付随する。

このような動きは、1980年代前半から「台湾前途の住民自決」の政治的主張として登場し、さらに「台湾意識」をキーワードとして、「中国意識」あるいは中国ナショナリズムによる台湾史解釈に対する批判が展開されたという。さらに80年代後半、蒋経国の政治的自由化への制限への反発をきっかけに行われた民進党のキャンペーン(87年秋の第二回大会での決議文「人民は台湾独立を主張する自由を有する」)があった。これは、戦後40年、国民党が上から実施してきた「中国人」としての国民形成キャンペーンに対抗するところの、下からの政治的社会化、「台湾人」への国民形成キャンペーンでもあったとする。

1996年5月、台湾史上初の総統直接選挙で李登輝が総統に就任した。第九章では、民主化を経た戦後台湾国家としての「中華民国」を、「中華民国第二共和制」と呼ぶ。国家の基本的アイデンティティは継続しつつも、国家体制に大きな変化があった場合の用語「第n共和制」にならったものである。民主化の過程で台頭した台湾ナショナリズムが求めた「台湾共和国」は出現せず、台湾の国家は依然として「中華民国」を国号とし、国旗も国境も変更せず、「中華民国憲法」本文は「一つの中国」を前提としている。

著者は、民主化によって「選挙共同体」となった台湾が、ネイション、「国民」としての政治・文化共同体として定着してけるかどうかは、依然として未知数であるという。台頭した台湾ナショナリズムが必ずしも支配的になったともいえず、21世紀初頭、それは「変容し躊躇する」状態にあるとしている。

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宗教VS.国家――フランス〈政教分離〉と市民の誕生  2008/10/11

〈工藤庸子、講談社現代新書、2007年〉

個人的な思いだが、漠然と感じていることがある。自分は信仰を持つことはできないかも知れないが、別の興味の持ち方はできる。世界を見るときのある「枠組み」として、キリスト教なり何なりの宗教を捉えてみるならば、ただ漠然と生きているよりも、深くこの世の中を考えることができるのではないか、などど――。

そんな関心に応えてくれたのが、この本だった。「はじめに」に言う。「もとより宗教とは信仰生活だけに還元される精神の営みではないのであり、不可避的に社会制度としての側面をもつ。たとえば人の生誕と死に関与する法律や慣習などの問題があり、教育や家庭など万人の生活を左右する生活上の問題もある。その上で、宗教感情や精神との対話など内面の問題ともなるのである」。

新書サイズでコンパクトにまとめられているとはいえ、本書で展望しようとしているテーマは大きい。それは、フランス大革命から20世紀の幕開けにかけて、「キリスト教」という切り口から市民社会の成熟の過程を追うこと。伝統的なカトリック教国であったフランスが、どのような歴史を経て、「ライシテ」という政教分離の精神がすみずみまで浸透した社会に変貌したのか。

それは今日、学校教育の場でイスラームの少女たちがスカーフを身に付けることを許さないほどに、徹底している。「フランスには革命以来一世紀の確執と混乱をへて教室から十字架を排除した記憶が生きている。カトリックを対象とした政教分離の闘争という史実が、スカーフへの抵抗という力学の起源にあることを、少なくともわたしたちは知識として知っておくべきだろう」(p96)。

なお、本書では、『レ・ミゼラブル』をはじめ、『ボヴァリー夫人』やゾラの『ルルド』など、小説の中に現れる当時のフランス社会にとってのキリスト教のあり方を、折にふれて材料として取り上げている。読み物とするならば、こちらを主体とした構成にするのも面白かったかもしれない。

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