荒野へ 2009/1/17
〈『荒野へ』ジョン・クラカワー/佐宗鈴夫訳/集英社文庫/2007年〉〈『イントゥ・ザ・ワイルド』ショーン・ベン監督/アメリカ/2007年〉
はじめに映画を見て、そして暗い闇から(しかし覗き見ずにはいられない)一刻も早く脱出してしまいたい、とばかりに、ほとんど一気に原作を読みきった。読後感は、今でも重い。
これは、破綻した冒険物語なのだ――と思う。マッカンドレスの旅は、アラスカでの孤独な餓死という結末に終わる「行ったきり」の旅であり、読み手は一種の宙吊り状態にされてしまう。閉じられなかった円環。行って、還ってこられなかった旅人。読者もまた、凍てついたアラスカの大地に、置き去りにされる。
そもそもマッカンドレスは、「還る」ことを前提として旅に出たのだろうか?アラスカでの数ヶ月の生活ののち、「幸福は分かちあえたものだけが、ほんものである」という、旅の終わり(そして社会生活へ戻ること)を暗示するかのようなメモを残したとき、彼は「還ろうとしていた」ように思える。しかし、直後、毒性の野草を食べたことで衰弱し、ついに死に至る。その最期の場面――彼の網膜に映る澄んだ空が、一瞬で暗転する、その瞬間――は、映画の中でも特に印象に残るシーンだ。
彼がなぜ、社会生活を捨てて自然の中での孤独な生活に踏み込んでいったのか――という謎もまた、明かされていない。マッカンドレスと両親との不和、とりわけ彼の出生にまつわる秘密を知ったことが、彼を孤独な旅へと向かわせたことは、本の中でも触れられている。けれど、優等生で読書家でもあった彼がノートに引用した多くの書物、トルストイやソローの言葉は、彼の行動が、社会批判・文明批判とでも言えるような、より普遍的な思想に基づいていたことを教えてくれる。
ジャーナリストでもあり、自ら登山家でもある著者のクラクワーは、自らの氷山への登頂体験(彼自身は「行って還ってきた」冒険者ということになるが、生死は紙一重の違いであると彼は言う)を挿入する。さらに、人間社会に背を向けて大自然での冒険や生活に挑み、そして多くは還らなかった先達のエピソードを通じて、マッカンドレスの心の中に迫ろうとしている。
重い読後感を残す作品ではあるが、救いもある。それは、マッカンドレスが放浪の旅の途中で残していった、多くの人たちとの出会い。ときにはそれは、彼らの人生観をも変えるような力を持っていた。80歳を越えたフランク老人に、新しい人生を始めるべく、安定した生活と家を捨ててることを決意させたように。
マッカンドレスが持っていた、あるいは翻弄された力とは、何なのだろうか。それは今も私を混乱させる。深い森の奥で、磁界を狂わせるような自然のエネルギー。それは人間の心の奥深くにもあるような気がする。
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