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2009年1月

外国語学習の科学――第二言語習得論とは何か  2009/1/24

〈白井恭弘/岩波新書/2008年〉

このところ、ビジネス書売場では、勉強法とか発想法、効果的な手帳やノートの使い方などについての本が人気があるようだ。どんな仕事・勉強をするのかではなく、いかにするのか、というテクニックとか、どうすれば科学的に(最小限の時間と労力で)知的な活動の成果が出せるのか、というメカニズムのほうに、大方の関心が向いているというべきか。「脳を生かす」といった脳科学からのアプローチも流行りのひとつ。そんな意味で、より速く、より確実に外国語をモノにするための方法論に関する本が、これからは歓迎されるのではないかと思っている。

本書は、学習者と教育者の両方の立場から関心が持てるように、第二言語習得の研究成果を紹介している。目次は次のとおり。

第一章 母語を基礎に外国語は習得される/第二章 なぜ子どもはことばが習得できるのか――「臨界期仮説」を考える/第三章 どんな学習者が外国語学習に成功するか――個人差と動機づけの問題/第四章 外国語学習のメカニズム――言語はルールでは割り切れない/第五章 外国語を身につけるために――第二言語習得論の成果をどう生かすか/第六章 効果的な外国語学習法

一学習者としても、これまでの勉強の仕方を振り返ったり、新しい勉強法にチャレンジしてみたくなるヒントが随所にあって、二読、三読したい本。勉強に行き詰まったとき、折に触れて読み返してみるのもいいかもしれない。例えば、読んだり書いたりするインプットだけでなく、アウトプットを毎日少しでも続けることや、仲間と刺激しあって勉強するような「学習ストラテジー」を使うこと、これは言われてみれば当たり前なのかもしれないが、なるほどと納得できるところだ。

私が細々と勉強している中国語について言うと、第一章の内容が面白かった。日本語と多くの漢字を共有しているため、音声・文法はずいぶん違うとしても、語彙の習得は楽になる。しかし、実際に他の外国語と比べて日本人にとって習得が易しいのかどうか、という実証研究はまだないという。また、母語が影響する「転移」の考え方からすると、正の転移と負の転移のうち、「日中同形異義語」(同じ漢字や熟語でも意味が違う)は負の転移であり、これはもっと強調されてもよい。

本書の「プロローグ」では、スポーツ科学を例に出しながら、第二言語習得に科学的なアプローチをすることの重要性について触れている。日本のような貿易立国では、スポーツで金メダルを取ることよりも、外国語学習を成功させることのほうが国益に貢献する、という。あながち誇張でもないのかもしれない。

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荒野へ 2009/1/17

〈『荒野へ』ジョン・クラカワー/佐宗鈴夫訳/集英社文庫/2007年〉〈『イントゥ・ザ・ワイルド』ショーン・ベン監督/アメリカ/2007年〉

はじめに映画を見て、そして暗い闇から(しかし覗き見ずにはいられない)一刻も早く脱出してしまいたい、とばかりに、ほとんど一気に原作を読みきった。読後感は、今でも重い。

これは、破綻した冒険物語なのだ――と思う。マッカンドレスの旅は、アラスカでの孤独な餓死という結末に終わる「行ったきり」の旅であり、読み手は一種の宙吊り状態にされてしまう。閉じられなかった円環。行って、還ってこられなかった旅人。読者もまた、凍てついたアラスカの大地に、置き去りにされる。

そもそもマッカンドレスは、「還る」ことを前提として旅に出たのだろうか?アラスカでの数ヶ月の生活ののち、「幸福は分かちあえたものだけが、ほんものである」という、旅の終わり(そして社会生活へ戻ること)を暗示するかのようなメモを残したとき、彼は「還ろうとしていた」ように思える。しかし、直後、毒性の野草を食べたことで衰弱し、ついに死に至る。その最期の場面――彼の網膜に映る澄んだ空が、一瞬で暗転する、その瞬間――は、映画の中でも特に印象に残るシーンだ。

彼がなぜ、社会生活を捨てて自然の中での孤独な生活に踏み込んでいったのか――という謎もまた、明かされていない。マッカンドレスと両親との不和、とりわけ彼の出生にまつわる秘密を知ったことが、彼を孤独な旅へと向かわせたことは、本の中でも触れられている。けれど、優等生で読書家でもあった彼がノートに引用した多くの書物、トルストイやソローの言葉は、彼の行動が、社会批判・文明批判とでも言えるような、より普遍的な思想に基づいていたことを教えてくれる。

ジャーナリストでもあり、自ら登山家でもある著者のクラクワーは、自らの氷山への登頂体験(彼自身は「行って還ってきた」冒険者ということになるが、生死は紙一重の違いであると彼は言う)を挿入する。さらに、人間社会に背を向けて大自然での冒険や生活に挑み、そして多くは還らなかった先達のエピソードを通じて、マッカンドレスの心の中に迫ろうとしている。

重い読後感を残す作品ではあるが、救いもある。それは、マッカンドレスが放浪の旅の途中で残していった、多くの人たちとの出会い。ときにはそれは、彼らの人生観をも変えるような力を持っていた。80歳を越えたフランク老人に、新しい人生を始めるべく、安定した生活と家を捨ててることを決意させたように。

マッカンドレスが持っていた、あるいは翻弄された力とは、何なのだろうか。それは今も私を混乱させる。深い森の奥で、磁界を狂わせるような自然のエネルギー。それは人間の心の奥深くにもあるような気がする。

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超訳『資本論』 2008/12/21

〈的場昭弘、祥伝社新書、2008年〉

今まで『資本論』を読もうと思ったこともないし、またこれからもその原文に向き合うことはない、かもしれない。けれどこの新書を読んでみたのは、「超訳」とはいったい何を指すのかに、興味があったからなのだった。

勉強として『資本論』を読む学生に向けてではなく、まさに社会にあって働く人たちに、自分の問題として読んでほしい――その意図は伝わるし、引き込まれるところもあった。「超訳」という言葉を平たく言ってしまえば、エッセンスの要約、ということになるのだろうか。何せ原文を読んだことがないので、それが成功しているかどうかは判断できないけれど、少なくとも面白そうだ、という感じは抱いた。その意味では、『資本論』への導きとしての役割は果たしているかもしれない。

よく、労働力についても「売り手市場」とか「買い手市場」という言い方をする。就職氷河期に仕事を得て、どうやら正社員という働き方をしている自分にとっては、まさに「買い手市場」の中で、いかに雇用側にとって「美味しい」人材であるか――ということに汲々としてきた。あるいは、「自己実現」や、「やりがい」や、人を仕事に駆り立てる、前向きらしい言葉ばかりに踊らされてきた、ような気もする。そこに「搾取されている」という発想は生まれない。

もちろん、「働く」とは、賃金だけで割り切れる営みではないと思うのだが、いったい自分が、「何のために」働いているのか、社会のどんな仕組みの中に、組みこまれてしまっているのか、思いを致すきっかけを与えてくれる本ではあった。

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