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2009年6月

故郷/阿Q正伝  2009/6/12  

〈魯迅、藤井省三訳、光文社古典新訳文庫、2009年〉

待ちに待った、というべきか、古典新訳文庫のはじめての中国文学作品は、魯迅。いったい、日本の読者は魯迅の作品、またその人に対して、どういう距離を取ればいいのだろう――ということを、今回改めて感じた。

このシリーズの中国文学の最初の作品になったように、日本人にとって魯迅の存在は大きい。本国でも押しも押されぬ国民的作家だということもあるが、「藤野先生」でよく知られるように、日本に長く滞在し、かかわりが深いことが、より親近感を抱かせていることは明らかだろう。

けれど、その近さは、「抜き差しならぬ」近さなのだ。その時代の中国のエリートであった魯迅が日本に留学し、作家としても日本の作家から多大な影響を受けている(例えば、訳者による「解説」では、芥川龍之介からの影響を指摘している)ということは、どういうことか。それは、大きな言い方をしてしまえば、中国と中国文学の近代化そのものが、当時の日本と切っても切れない関係にあった、ということだ。

「抜き差しならぬ近さ」――どうやら日本人はその近さに寄りかかりすぎていたらしい。訳者は、従来の竹内好をはじめとする訳文が、魯迅を「土着化」したとする。その原因の最たるものとして、竹内訳が魯迅の本来の屈折した長文の迷路のような思考を、原文の数倍の句点(。)を用いることによって切断したと指摘する。「伝統と近代のはざまで苦しんでいた魯迅の屈折した文体を、竹内氏は戦後の民主化を経て高度経済成長を歩む日本人の好みに合うように、土着化・日本化させているのではないか」(p332)としている。

今回の新訳では、中国の文学革命における句読点の意義をふりかえり、原文の句点を忠実に訳すとともに、竹内訳で目立った意訳も改めたという。より「真の魯迅像を忠実に再現」(帯のキャッチ)したという謳い文句。

この文庫には、魯迅自身の日本語による創作「兎と猫」も収録されているのだが、たしかにこには、「、」を多用して長々と文章を繋いでいく文体が残っている。魯迅が句読点というものをどう考えていたのか、その息遣いに触れる思いがする。

ところで、今回収録された作品の中では、「阿Q正伝」が抜群に面白い。ひそかに考えるに、訳者の文体は、ドタバタ喜劇(悲喜劇)に合っている。そして、こちらはしっとりとした叙情的な文章だが、「百草園から三味書屋へ」――この五月、発売されたばかりの本書をもって、紹興の魯迅故居を訪ねた。この一篇に描かれた子供時代の魯迅の姿がひょっこり現れてきそうな、その庭の変わらぬ静かなたたずまいは、ずっと忘れないだろう。

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